復縁アドバイザーさきなです🌹
私は”荒れた家庭”で育ちました。
新聞読んでばかりで
目を合わせてくれないお父さん。
うってかわって、感情的なお母さん。
基本的には静かなんだけど、
ひとたび喧嘩が始まると、止まらない…
物が飛ぶこともありました。
リモコン、食器、掃除道具、何でも。
「なんでこんな簡単なこともできないの!?」
「私が全部背負って、何もかも一人でやってるのに…
誰も分かってくれないじゃない!」
母の怒鳴り声が響く。
父は相変わらず黙ったまま、
幼い私をかばおうとはしない。
私はアダルトチルドレン
そんな家庭で育った私は
生粋の『アダルトチルドレン(AC)』です。
- 人の顔色を過剰に気にする
- NOと言えない・断ることに罪悪感がある
- 頼るのが苦手、自立しすぎる
- 常に“正しくあろう”とする
- 他人の感情に巻き込まれやすい
- 自己否定が強く、承認欲求が高い
- 「ふつう」に強い劣等感を持つ
- 過去の家庭環境を“問題がなかったこと”にしている
こんな感覚、
ひとつでも思い当たる人って
実は…すごく多いんじゃないかなって。
自分だけじゃないってことに
気づいたとき、
なんとも言えない安心と、
なんとも言えない虚しさが
同時にくるんですよね。
ただただ、
「私たち、そうやって育てられたんだな」
って。
だれかが悪いって話じゃない。
親も、
先生も、
上司も、
みんな“そうされて育ってきた”だけ。
だけど、その連鎖が
社会全体に根を張っていて、
「みんながそれを“ふつう”として生きている」
ってことが、
ときどき、ものすごくしんどく感じる。
たとえば
怒ることを許されなかった人は
他人の怒りに過敏になるし、
褒められたことがない人は
他人の評価に依存しやすくなる。
安心して甘えられなかった人は、
「頼ること=負け」って感じてしまうし、
自分の気持ちを出せなかった人は、
他人の感情ばかり読み取るようになる。
こうしてそれぞれが
“防衛のクセ”を持ったまま社会に出て、
そのまま親になり、
上司になり、
誰かに影響を与えていく。
だからいま
職場や家庭で起きてる
やりとりのなかに、
「未消化の感情」や
「古い痛みの投影」が含まれてることって、
ほんとに多いんです。
アダルトチルドレン=未熟『というわけではない』
それを見て
「なんて未熟なんだ」とか
「なんでこんなに不器用なんだ」と
思うこともあるけど、
どこかで、
「自分もきっとそうだったかもしれない」
って思えるとき、
すこしだけ
視界が広がることもありますよね。
みんな、
ほんとは
よくわからないまま、
不安と期待と孤独を抱えて生きてる。
そしてその痛みに
名前をつける余裕もないまま、
大人になっていく。
それが、
いまの日本社会のリアルかもしれません。
でも、だからこそ。
誰かを「変えよう」とするんじゃなくて、
まずは
「自分の感じてる違和感」に
素直になれる人が、
少しずつ、
静かに流れを
変えていけるんじゃないかなって思うんです。
「そういう社会、しんどいよね」って、
フラットに語れる人がいるだけで、
そこにはもう、
安心と希望の種がまかれているんですよ。
それだけは、ちゃんと信じていいと思います。
子を育てるのは親じゃないほうがいい?日本の母親は全員”毒親予備軍”な理由
あとこれは
よく政治系の新聞サイトで
議題に上がるやつ。
- 子どもを育てるのは親であるべきなのか?
- 日本の母親ってなぜ“毒親予備軍”になりやすいのか?
- 子どもを育てるのは『親』じゃないほうがいいのか?
これ、ストレートに言うと
『親だけで育てるのは、無理がある』
ってことなんです。
たとえば昔の日本には
「地域」や
「親戚」っていう、
ゆるやかな共同体があって、
親だけが子育てを背負わなくてもよかった。
でも今は、
- 核家族化
- 共働き
- 孤立化
が進んで、
親がワンオペで子どもを育てるのが
当たり前になってしまった。
するとどうなるかというと、
親、特に“母親”に、
過剰な期待と
プレッシャーがのしかかるんです。
- しっかり愛情を注いで
- きちんとしつけて
- 勉強を見て
- 体調管理して
- SNSもほどほどにして
- メンタルも安定していて
……って、
そんなの無理なんですよ、本当は。
日本の母親が“毒親予備軍”になりやすい理由
で、ここが問題の核心なんですけど
日本社会が母親に
『完璧な自己犠牲』を求めすぎてるんですよね。
母親とはこうあるべきっていう↓
- 子ども優先で生きるもの
- 自分の感情を抑えて当たり前
- 子の成功=母の努力
- 子どもの失敗=母の責任
こんな無言のルールが
根深く社会に刷り込まれている。
でも、母親も人間なんですよ。
不安にもなるし、
疲れるし、
間違えるし、
感情だってある。
けれど、それを“出した瞬間”に、
「毒親だ」「母親失格だ」って言われてしまう。
つまり、
感情を持たない
完璧マシンであることを
私たち女性は求められてるんです。
母親の逃げ道がない現状
そしてもうひとつ。
日本の母親が孤立しやすいのは、
『逃げ道がない構造』になってるから。
- 頼れる人がいない
- 夫が育児に関わらない
- 保育・福祉・教育の現場に余裕がない
- 「母親ならできて当然」という空気
この
“誰にも助けを求められない状態”
で子育てを続けると、人はどうなるか。
自分の中にたまった
ストレスや焦りを、
いちばん近くにいる
子どもにぶつけてしまうんです。
それがまさに
毒親的なふるまいとして現れる。
でもそれって、
その人が悪い…というより、
“その人が限界を超えてしまった”
ということでもあります。
じゃあ、どうすればいいのか?
もしかしたら、本当に必要なのは
親としてがんばることじゃなくて、
『親ひとりで抱え込まなくてもいい社会をつくる』
ことなのかもしれません。
子育てって、
ほんとはもっと
ゆるくていいし、
頼っていいし、
失敗しても大丈夫なものの
はずなんですよね。
でも今の日本は、
“母性神話”と
“自己責任社会”が手を組んで、
すべてを
母親に押しつけてしまっている。
その結果、母親たちは
「わたしさえ我慢すれば…」
と自分を責め、
子どもたちは
「お母さんの期待に応えなきゃ…」
と自分を抑え、
気づけばどちらも
“心の自由”をなくしていく。
つまり、
「親が悪い」じゃないんです。
「構造が悪い」んです。
母親も、
父親も、
子どもも、
みんなその構造のなかで
無理をして生きている。
「親でいるのが怖い」って感じる人も、
「うちの親はひどかった」って思ってる人も、
まずは自分の感情を否定せずに
そっと抱きしめてあげてほしい。
誰だって“毒”になりうる社会で
育ってきたんだから。
そしてこれからの時代は、
「親だけが育てる」という幻想を手放すこと。
“ひとりじゃない子育て”を
当たり前にしていくこと。
それがほんとうの意味で
「毒親」じゃない社会へ
の一歩なんだと思います。
完璧じゃなくていい。
ゆるくていい。
助けてって言っていい。
そんなふうに生きられる社会を、
少しずつ選び直していけたらいいですよね。
PS.
今はもう、両親とは普通の関係です☺️
たまに実家に帰って
同じ食卓を囲んで
笑い合って、
ふざけ合って、
明るくて楽しい
ノンストレスの家族になれました。
以前と変わったところっていえば、
私の、両親との接し方が変わったことくらい。
彼との復縁を通して内面を磨いた結果、
私が
家族の事情を変える
キーパーソンになれた。
前までの私じゃ絶対できなかったこと。
母のヒステリックに怯えて
隅っこでブルブル震えるか、
干渉しない父に絶望するか…
私が「変わる」選択をしなかったら、
悲しい家族関係のままだったと思います。
恋愛だけじゃなくて、
人との接し方そのものを変えてしまうのが
『自己理解』の1つの魅力。
今のパパとママがだいすき☺️🌹
こんなこと言える人生が来るなんて
夢にも思ってなかったな~
物静かな彼のことも
両親は快く受け入れてくれてて、
本当に「生きててよかった」って思える人生です。